80年前の聖学院 ~授業ができず農地開墾の日々~
1941年(昭和16年)、文部省訓令「学校報国団ノ体制確立方」により、生徒は勤労奉仕に動員されることになりました。1944年(昭和19年)には、さらなる動員が図られ、授業を継続することが困難となり、ついに1945年(昭和20年)3月、「決戦教育措置要綱」により、「1年間の授業停止、すべての時間を農地開墾に充てること」が義務となったのです。
往復文書綴貮ノ三号 集団勤労関係綴 學校農場調査報告綴
東京府学務部と本校との間でやりとりされた農地開墾の記録です。
昭和16年4月18日に、東京府学務部長から旧制中学校長に公布された「戦時国民食等ノ研究会ニ関スル件」です。
「二、空地利用食糧増産問題研究会」の項目では、府立、私立、私立男女中等学校校長宛に、農地開墾の勤労奉仕に関する説明会を召集することが書かれています。
「昭和16年度報告農場学生勤労作業出勤学校一覧」です。
本校も含め、各校の勤労作業日と出動生徒数が記録されています。
世田谷地区の学校の農場所在地が記録されています。
足立地区、杉並地区の学校の農場所在地が記録されています。
「昭和17年第二期 荒川報国農場勤労作業割当表」です。
昭和17年第二学期(当時は9月から3月)の当番校が記録されています。
当時の富永正校長名で保証人(保護者)に発行された「生徒集団勤労作業要項」です。
昭和9年のキリスト教修養会キャンプ(パンフレット・議事録)
今回、ご紹介するのは、1934年(昭和9年)の8月に行われた「キリスト教学生キャンプ」のパンフレットと、1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)までの「学生中等部委員会」議事録です。
議事録には、初代校長・石川角次郎先生が話し合いに参加されていたこと、1930年(昭和5年)の昇天により補欠選挙が行われていたことがわかります。
【1934年(昭和9年)の世相】
・満州国に帝政が敷かれ、溥儀が皇帝に即位した。
・渋谷駅に忠犬ハチ公像が建立され、ハチ公自身も除幕式に参加した。
・ベーブ・ルーズら17人の米大リーグ選抜チームが来日した。
・日本初のアメリカンフットボールの試合が神宮で開催された。
同時に、日本は次第に軍国主義の色合いを強めていくことになります。
聖学院をはじめとするキリスト教学校にとって、厳しい時代が目の前に迫っていました。
パンフレット画像 ※汚損箇所があります
議事録画像 ※汚損箇所があります
〔パンフレット〕の内容はこちら。
〔議事録〕の内容はこちら。
今年は元号が変わり、それに伴う儀式や、影響を受ける町の様子などが数多く報道されています。(聖学院はキリスト教主義学校のため、元号は使用せず西暦を用いることになっています。)
今回、ご紹介するのは、大正から昭和に移り変わる瞬間を表わしたものです。
「大正16年 總豫定表」。
今でいう「学校暦」です。
大正天皇は、1926年(大正15年)12月25日に47歳で亡くなり、この日が昭和元年となりました。このことから、今回、紹介する「大正16年總豫定表総」は、「来年も大正という元号が続くこと」を前提にして、学校の予定を書いたものであることが推察されます。
内容を見ると、1月~3月という、今の3学期にあたることから、「入学試験」「卒業証書授与式」「定期考査」などの日程が記されています。
93年前の聖学院の記録をご覧下さい。
聖学院中学校が文部省(現・文部科学省)からの認可を受け、授業を開始したのは1906年(明治39年)9月11日のことです。
当時の日本は、日露戦争が終わった直後で「戦勝国」でありながら、その成果が期待通りに得られず、国民の不満が政治や西洋社会に向かっていた時代でした。
このことは、本校の開校にも少なからぬ影響を及ぼし、1906年4月の「日誌」では、既に使用教科書の手配が完了していたにも関わらす、文部省からの開校許可がなかなか下りない状況でした。
そうした苦難を乗り越えて、ようやく9月に入り入学試験を実施。授業式が執り行われました。
それから111年。
聖学院は、「神を仰ぎ人に仕える」という建学の精神を、いまもなお堅持しています。
開校当時の様子を記した日誌と、明治45年に聖学院中学校を卒業された關本勇治氏の卒業証書を紹介します。
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図書館の閉架書庫には、明治・大正時代に刊行された本や、昭和初期から戦時中に至る史料が数多く眠っています。
今回はその中から「満蒙開拓幹部訓練所概要」「満州農業移民候補者選定ニ關スル内規」を紹介します。
日本が満州を攻め、義勇軍と名乗る若者を現地に送りこんでいた昭和14年、彼らを指導する人材の充実が喫緊の課題となり設けられたのが、満蒙開拓幹部訓練所です。
茨城県・内原に作られたこの訓練所へ入ることを希望する者に対して「要綱」が配られましたが、今回、掲載する「内規」では、「要綱」には載せなかった、より踏み込んだ条件が書かれており、日本の満州移民計画の切迫した状況を窺い知ることができます。
満蒙開拓幹部訓練所概要
昭和十四年一月
滿蒙開拓幹部訓練所概要
財團法人滿洲移住協會
一、要旨
大和民族理想信仰の顯現は、滿洲帝國誕生と同時に、彌榮の意氣込を以て、年々擴大的に開始されつゝある移民團の建設により、日滿一徳一心の基礎を固むるにあり而して健全なる移民團發逹の最大要件は、皇道追伸のよき指導者を得て、協力一致の實をあぐるにあり。この要旨に副ひ滿洲移住協會は拓務省の委託を受け本訓練所を設立し有爲人材の大和魂鍛錬陶冶の道場たらしめんとするものなり。
二、設立目的名稱並に經營
本訓練所は滿蒙開拓幹部訓練所と稱し、滿蒙開拓靑少年義勇軍幹部竝に集團移民幹部の訓練養成の目的を以て財團法人滿洲移住協會これを經營す。
三、位置
茨城縣東茨城郡鯉淵村(内原驛下車約一里)
四、設立年月日
昭和十四年一月
五、訓練方針
一、所生は寄宿舎に收容し、職員、所生は居常寝食を共にする一體の大家族たることを期す。
二、農場敎室と相俟ち學科、武道、農業勞働を通じ職員所生お互の大和魂を研き合ひ、以て時と所に應じ最も適切なる指導訓練經營をなし得る根本力の體得を目指す道場たることを期す。
三、本訓練所に於ける訓練は現地訓練所に於ける訓練と一貫せんことを期す。
六、敎科及び日課
一、敎科
(イ) 學科
學科としては倫理の大意と科學の大意を課し、從來學び得たる學識竝に本訓練所における實科と相俟ちて日本人たるの本分を明らかにせんことを期す。
(ロ) 實科
武道(直心影流法定の型、柔剣道)
日本體操(やまとばたらき) 農業實習 軍事敎練 其他
二、日課
起床 午前五時若くは五時三十分 禊、清潔、整頓をなす
點呼 午前五時半若くは六時
禮拝 黠呼後神前において左の形式により禮拝す
一、二拝二拍手一拝 二、敎育勅語奉讀
三、天皇陛下彌榮三唱 四、天晴れ、あな面白、あな手伸し、あな明け、おけ
五、二拝二拍手一拝 六、挨拶
武道體操 禮拝後一時間武道又は體操
朝食 午前七時=七時半
學科 自午前八時三十分 至正午
實習 自午後一時三十分 至日没
夕食 午後六時=七時
自習 午後七時=九時 或は武道 座談會
禮拝 午後九時 一同寄宿舎に集合左の形式に依り禮拝をなす
二拝二拍手一拝 職員所生相互の挨拶
七、職員
所長 加藤完治
職員 補導若干名 副補導若干名 助手若干名 講師若干名
八、施設
建物
神社、寄宿舎、職員宿舎、事務室、大講堂講義室、柔道場、剣道場、作業場、糓物倉庫、農產加工場、農產製造室、農具舎兼物置、鍛工場、木工場、畜舎、鶏舎、飼料舎、堆廐肥舎、サイロ、車庫等。
農場
約五十町
家畜
役牛、役乗馬、乳牛、鶏、種豚、緬羊。
九、部制
本訓練所に第一部乃至第三部をおきその部制を定むること左の如し。
第一部 専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校程度以上の學歷又はこれと同等以上の實力を有するものにして靑少年義勇軍幹部または集團移民幹部たることを目的とし、その訓練期間は三ヶ月、定員は四百名、年三回計千二百名とす。
第二部 鍛工、ブリキ工、桶工、木工、左官その他の特技者にして、現地訓練所の特技指導者たることを目的としその訓練期間は三ヶ月、定員は若干名。
第三部 内地農村の指導者にして第一部生、第二部生と相共に修業せんとするもの、その訓練期間は概ね一ケ月内外、定員は若干名。
以上第一部乃至第三部とも訓練期間竝に定員はときにこれを變更することあるべし。
一、募集の種類
(イ)集團移民幹部
1、團長
2、農事指導員
3、畜產指導員(獣醫)
(ロ)靑少年義勇軍幹部
1、敎學敎士 2、農事指導員
3、畜產指導員 4、事務指導員
5、特技(鍛工、ブリキ工其他)
二、應募資格
概ね左記に依るものとす。
1、専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校卒業以上の學歷を有し又は是と同等以上の學力を有し農村の指導又は敎育其他實際の經驗を有するもの。
2、年齢四十五歳以下のもの
3、身體强壮、質實剛健にして意志鞏固なる者
4、妻帶者にありては當分別居生活を爲し得る者
三、應募手續
應募者は滿洲移住協會理事長大蔵公望宛願書と共に左記書類を現住地道府縣廰に提出し地方長官の推薦を經るものとす。
1、在職者は所屬機關長其他は出身校學校長の推薦書 一通
2、本人自筆の履歷書 一通
3.戸籍謄本 一通
4、家族調書(様式參照) 一通
5、醫師の身體檢査證 一通
6、最近撮影の手札型寫真 一葉
四、募集締切並に選抜銓衡
(イ)募集締切期日
第一回 昭和十四年二月二十日
第二回 同年四月二十日
第三回 同年六月二十日
第四回 同年八月二十日
第五回 同年十月二十日
第六回 同年十二月二十日
第七回 十五年二月二十日
以下隔月二十日
(ロ)銓衡
各締切毎に道府縣當局と打合せの上翌月初旬その都度銓衡期日及場所を通知し銓衡の上假採用者を決定す。
(ハ)但し高等専門學校以上又は拓殖訓練所の新卒業生は二月二十日締切の分に學校長の推薦を經て直接滿洲移住協會理事長大蔵公望宛應募することとし、銓衡場は學校所在地の道府縣廳とし銓衡期日は追て之を通知す。
五、訓練
(イ)内地訓練
假採用者は左記要領に依り内地訓練を實施す。
1.訓練期間
集團移民幹部候補者は一ケ月以上とす
靑少年義勇軍幹部候補者は約三ケ月乃至五ケ月とす
2.集合日時
地方銓衡後概ね二十日内外に集合(日時は假採用決定の際通知)
3.訓練所 滿洲移住協會經營
茨城縣東茨城郡鯉淵村滿蒙開拓幹部訓練所(内原驛下車)
4.携行品
書類(履歷書四通、戸籍謄本一通、家族調書二通、最近撮影手札型寫真一葉)印鑑、寝具、作業衣一式、日用品、下駄
5.内地訓練所集合に要する旅費は船車賃最短距離實費を支給す、但し本人豫め立替置き訓練所到着後精算す、其の爲出發驛發行の汽車汽船・バス乗車證明書持參のこと、尚手荷物運賃超過の場合は其の支拂證に依り之を支給す。
(ロ)現地訓練
1.集團移民幹部候補者は内地訓練終了後滿蒙開拓哈爾濱訓練所に入所せしめ必要なる訓練を施行するものとす。
2.義勇軍幹部候補者は内地訓練終了と共に直に渡滿するものとす。
六、採用及待遇
1、採用
(イ)義勇軍幹部候補者にして内地訓練を終了したる者は渡滿の上滿洲拓植公社社員として採用し現地訓練所指導員の任務に服するものとす。
(ロ)集團移民幹部候補者は現地訓練終了後拓務省囑託として採用す
2、待遇
(イ)内地訓練中前歷に依り月額貳拾五圓乃至四拾五圓の手當を支給す
(ロ)渡滿に當りては旅費及支度金として百八拾圓を支給す
(ハ)集團移民幹部候補者は現地訓練中は月額四拾五圓乃至九拾圓を支給す。
(ニ)俸給
集團移民幹部は拓務省囑託に、義勇軍幹部は滿洲拓殖公社社員に、正式採用後は前歷を參考とし月額八拾圓乃至參百圓(手當共)の俸給とす(特別の場合は別途に之を考慮す)
七、問合わせ
1、各道府縣廳
2、滿洲移住協會訓練部(東京市麹町區内幸町大阪ビル三階)
(家族調書様式)
昭和十四年一月
滿蒙開拓幹部訓練所概要
財團法人滿洲移住協會
一、要旨
大和民族理想信仰の顯現は、滿洲帝國誕生と同時に、彌榮の意氣込を以て、年々擴大的に開始されつゝある移民團の建設により、日滿一徳一心の基礎を固むるにあり而して健全なる移民團發逹の最大要件は、皇道追伸のよき指導者を得て、協力一致の實をあぐるにあり。この要旨に副ひ滿洲移住協會は拓務省の委託を受け本訓練所を設立し有爲人材の大和魂鍛錬陶冶の道場たらしめんとするものなり。
二、設立目的名稱並に經營
本訓練所は滿蒙開拓幹部訓練所と稱し、滿蒙開拓靑少年義勇軍幹部竝に集團移民幹部の訓練養成の目的を以て財團法人滿洲移住協會これを經營す。
三、位置
茨城縣東茨城郡鯉淵村(内原驛下車約一里)
四、設立年月日
昭和十四年一月
五、訓練方針
一、所生は寄宿舎に收容し、職員、所生は居常寝食を共にする一體の大家族たることを期す。
二、農場敎室と相俟ち學科、武道、農業勞働を通じ職員所生お互の大和魂を研き合ひ、以て時と所に應じ最も適切なる指導訓練經營をなし得る根本力の體得を目指す道場たることを期す。
三、本訓練所に於ける訓練は現地訓練所に於ける訓練と一貫せんことを期す。
六、敎科及び日課
一、敎科
(イ) 學科
學科としては倫理の大意と科學の大意を課し、從來學び得たる學識竝に本訓練所における實科と相俟ちて日本人たるの本分を明らかにせんことを期す。
(ロ) 實科
武道(直心影流法定の型、柔剣道)
日本體操(やまとばたらき) 農業實習 軍事敎練 其他
二、日課
起床 午前五時若くは五時三十分 禊、清潔、整頓をなす
點呼 午前五時半若くは六時
禮拝 黠呼後神前において左の形式により禮拝す
一、二拝二拍手一拝 二、敎育勅語奉讀
三、天皇陛下彌榮三唱 四、天晴れ、あな面白、あな手伸し、あな明け、おけ
五、二拝二拍手一拝 六、挨拶
武道體操 禮拝後一時間武道又は體操
朝食 午前七時=七時半
學科 自午前八時三十分 至正午
實習 自午後一時三十分 至日没
夕食 午後六時=七時
自習 午後七時=九時 或は武道 座談會
禮拝 午後九時 一同寄宿舎に集合左の形式に依り禮拝をなす
二拝二拍手一拝 職員所生相互の挨拶
七、職員
所長 加藤完治
職員 補導若干名 副補導若干名 助手若干名 講師若干名
八、施設
建物
神社、寄宿舎、職員宿舎、事務室、大講堂講義室、柔道場、剣道場、作業場、糓物倉庫、農產加工場、農產製造室、農具舎兼物置、鍛工場、木工場、畜舎、鶏舎、飼料舎、堆廐肥舎、サイロ、車庫等。
農場
約五十町
家畜
役牛、役乗馬、乳牛、鶏、種豚、緬羊。
九、部制
本訓練所に第一部乃至第三部をおきその部制を定むること左の如し。
第一部 専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校程度以上の學歷又はこれと同等以上の實力を有するものにして靑少年義勇軍幹部または集團移民幹部たることを目的とし、その訓練期間は三ヶ月、定員は四百名、年三回計千二百名とす。
第二部 鍛工、ブリキ工、桶工、木工、左官その他の特技者にして、現地訓練所の特技指導者たることを目的としその訓練期間は三ヶ月、定員は若干名。
第三部 内地農村の指導者にして第一部生、第二部生と相共に修業せんとするもの、その訓練期間は概ね一ケ月内外、定員は若干名。
以上第一部乃至第三部とも訓練期間竝に定員はときにこれを變更することあるべし。
一、募集の種類
(イ)集團移民幹部
1、團長
2、農事指導員
3、畜產指導員(獣醫)
(ロ)靑少年義勇軍幹部
1、敎學敎士 2、農事指導員
3、畜產指導員 4、事務指導員
5、特技(鍛工、ブリキ工其他)
二、應募資格
概ね左記に依るものとす。
1、専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校卒業以上の學歷を有し又は是と同等以上の學力を有し農村の指導又は敎育其他實際の經驗を有するもの。
2、年齢四十五歳以下のもの
3、身體强壮、質實剛健にして意志鞏固なる者
4、妻帶者にありては當分別居生活を爲し得る者
三、應募手續
應募者は滿洲移住協會理事長大蔵公望宛願書と共に左記書類を現住地道府縣廰に提出し地方長官の推薦を經るものとす。
1、在職者は所屬機關長其他は出身校學校長の推薦書 一通
2、本人自筆の履歷書 一通
3.戸籍謄本 一通
4、家族調書(様式參照) 一通
5、醫師の身體檢査證 一通
6、最近撮影の手札型寫真 一葉
四、募集締切並に選抜銓衡
(イ)募集締切期日
第一回 昭和十四年二月二十日
第二回 同年四月二十日
第三回 同年六月二十日
第四回 同年八月二十日
第五回 同年十月二十日
第六回 同年十二月二十日
第七回 十五年二月二十日
以下隔月二十日
(ロ)銓衡
各締切毎に道府縣當局と打合せの上翌月初旬その都度銓衡期日及場所を通知し銓衡の上假採用者を決定す。
(ハ)但し高等専門學校以上又は拓殖訓練所の新卒業生は二月二十日締切の分に學校長の推薦を經て直接滿洲移住協會理事長大蔵公望宛應募することとし、銓衡場は學校所在地の道府縣廳とし銓衡期日は追て之を通知す。
五、訓練
(イ)内地訓練
假採用者は左記要領に依り内地訓練を實施す。
1.訓練期間
集團移民幹部候補者は一ケ月以上とす
靑少年義勇軍幹部候補者は約三ケ月乃至五ケ月とす
2.集合日時
地方銓衡後概ね二十日内外に集合(日時は假採用決定の際通知)
3.訓練所 滿洲移住協會經營
茨城縣東茨城郡鯉淵村滿蒙開拓幹部訓練所(内原驛下車)
4.携行品
書類(履歷書四通、戸籍謄本一通、家族調書二通、最近撮影手札型寫真一葉)印鑑、寝具、作業衣一式、日用品、下駄
5.内地訓練所集合に要する旅費は船車賃最短距離實費を支給す、但し本人豫め立替置き訓練所到着後精算す、其の爲出發驛發行の汽車汽船・バス乗車證明書持參のこと、尚手荷物運賃超過の場合は其の支拂證に依り之を支給す。
(ロ)現地訓練
1.集團移民幹部候補者は内地訓練終了後滿蒙開拓哈爾濱訓練所に入所せしめ必要なる訓練を施行するものとす。
2.義勇軍幹部候補者は内地訓練終了と共に直に渡滿するものとす。
六、採用及待遇
1、採用
(イ)義勇軍幹部候補者にして内地訓練を終了したる者は渡滿の上滿洲拓植公社社員として採用し現地訓練所指導員の任務に服するものとす。
(ロ)集團移民幹部候補者は現地訓練終了後拓務省囑託として採用す
2、待遇
(イ)内地訓練中前歷に依り月額貳拾五圓乃至四拾五圓の手當を支給す
(ロ)渡滿に當りては旅費及支度金として百八拾圓を支給す
(ハ)集團移民幹部候補者は現地訓練中は月額四拾五圓乃至九拾圓を支給す。
(ニ)俸給
集團移民幹部は拓務省囑託に、義勇軍幹部は滿洲拓殖公社社員に、正式採用後は前歷を參考とし月額八拾圓乃至參百圓(手當共)の俸給とす(特別の場合は別途に之を考慮す)
七、問合わせ
1、各道府縣廳
2、滿洲移住協會訓練部(東京市麹町區内幸町大阪ビル三階)
(家族調書様式)
昭和十四年一月
滿蒙開拓幹部訓練所概要
財團法人滿洲移住協會
一、要旨
大和民族理想信仰の顯現は、滿洲帝國誕生と同時に、彌榮の意氣込を以て、年々擴大的に開始されつゝある移民團の建設により、日滿一徳一心の基礎を固むるにあり而して健全なる移民團發逹の最大要件は、皇道追伸のよき指導者を得て、協力一致の實をあぐるにあり。この要旨に副ひ滿洲移住協會は拓務省の委託を受け本訓練所を設立し有爲人材の大和魂鍛錬陶冶の道場たらしめんとするものなり。
二、設立目的名稱並に經營
本訓練所は滿蒙開拓幹部訓練所と稱し、滿蒙開拓靑少年義勇軍幹部竝に集團移民幹部の訓練養成の目的を以て財團法人滿洲移住協會これを經營す。
三、位置
茨城縣東茨城郡鯉淵村(内原驛下車約一里)
四、設立年月日
昭和十四年一月
五、訓練方針
一、所生は寄宿舎に收容し、職員、所生は居常寝食を共にする一體の大家族たることを期す。
二、農場敎室と相俟ち學科、武道、農業勞働を通じ職員所生お互の大和魂を研き合ひ、以て時と所に應じ最も適切なる指導訓練經營をなし得る根本力の體得を目指す道場たることを期す。
三、本訓練所に於ける訓練は現地訓練所に於ける訓練と一貫せんことを期す。
六、敎科及び日課
一、敎科
(イ) 學科
學科としては倫理の大意と科學の大意を課し、從來學び得たる學識竝に本訓練所における實科と相俟ちて日本人たるの本分を明らかにせんことを期す。
(ロ) 實科
武道(直心影流法定の型、柔剣道)
日本體操(やまとばたらき) 農業實習 軍事敎練 其他
二、日課
起床 午前五時若くは五時三十分 禊、清潔、整頓をなす
點呼 午前五時半若くは六時
禮拝 黠呼後神前において左の形式により禮拝す
一、二拝二拍手一拝 二、敎育勅語奉讀
三、天皇陛下彌榮三唱 四、天晴れ、あな面白、あな手伸し、あな明け、おけ
五、二拝二拍手一拝 六、挨拶
武道體操 禮拝後一時間武道又は體操
朝食 午前七時=七時半
學科 自午前八時三十分 至正午
實習 自午後一時三十分 至日没
夕食 午後六時=七時
自習 午後七時=九時 或は武道 座談會
禮拝 午後九時 一同寄宿舎に集合左の形式に依り禮拝をなす
二拝二拍手一拝 職員所生相互の挨拶
七、職員
所長 加藤完治
職員 補導若干名 副補導若干名 助手若干名 講師若干名
八、施設
建物
神社、寄宿舎、職員宿舎、事務室、大講堂講義室、柔道場、剣道場、作業場、糓物倉庫、農產加工場、農產製造室、農具舎兼物置、鍛工場、木工場、畜舎、鶏舎、飼料舎、堆廐肥舎、サイロ、車庫等。
農場
約五十町
家畜
役牛、役乗馬、乳牛、鶏、種豚、緬羊。
九、部制
本訓練所に第一部乃至第三部をおきその部制を定むること左の如し。
第一部 専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校程度以上の學歷又はこれと同等以上の實力を有するものにして靑少年義勇軍幹部または集團移民幹部たることを目的とし、その訓練期間は三ヶ月、定員は四百名、年三回計千二百名とす。
第二部 鍛工、ブリキ工、桶工、木工、左官その他の特技者にして、現地訓練所の特技指導者たることを目的としその訓練期間は三ヶ月、定員は若干名。
第三部 内地農村の指導者にして第一部生、第二部生と相共に修業せんとするもの、その訓練期間は概ね一ケ月内外、定員は若干名。
以上第一部乃至第三部とも訓練期間竝に定員はときにこれを變更することあるべし。
一、募集の種類
(イ)集團移民幹部
1、團長
2、農事指導員
3、畜產指導員(獣醫)
(ロ)靑少年義勇軍幹部
1、敎學敎士 2、農事指導員
3、畜產指導員 4、事務指導員
5、特技(鍛工、ブリキ工其他)
二、應募資格
概ね左記に依るものとす。
1、専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校卒業以上の學歷を有し又は是と同等以上の學力を有し農村の指導又は敎育其他實際の經驗を有するもの。
2、年齢四十五歳以下のもの
3、身體强壮、質實剛健にして意志鞏固なる者
4、妻帶者にありては當分別居生活を爲し得る者
三、應募手續
應募者は滿洲移住協會理事長大蔵公望宛願書と共に左記書類を現住地道府縣廰に提出し地方長官の推薦を經るものとす。
1、在職者は所屬機關長其他は出身校學校長の推薦書 一通
2、本人自筆の履歷書 一通
3.戸籍謄本 一通
4、家族調書(様式參照) 一通
5、醫師の身體檢査證 一通
6、最近撮影の手札型寫真 一葉
四、募集締切並に選抜銓衡
(イ)募集締切期日
第一回 昭和十四年二月二十日
第二回 同年四月二十日
第三回 同年六月二十日
第四回 同年八月二十日
第五回 同年十月二十日
第六回 同年十二月二十日
第七回 十五年二月二十日
以下隔月二十日
(ロ)銓衡
各締切毎に道府縣當局と打合せの上翌月初旬その都度銓衡期日及場所を通知し銓衡の上假採用者を決定す。
(ハ)但し高等専門學校以上又は拓殖訓練所の新卒業生は二月二十日締切の分に學校長の推薦を經て直接滿洲移住協會理事長大蔵公望宛應募することとし、銓衡場は學校所在地の道府縣廳とし銓衡期日は追て之を通知す。
五、訓練
(イ)内地訓練
假採用者は左記要領に依り内地訓練を實施す。
1.訓練期間
集團移民幹部候補者は一ケ月以上とす
靑少年義勇軍幹部候補者は約三ケ月乃至五ケ月とす
2.集合日時
地方銓衡後概ね二十日内外に集合(日時は假採用決定の際通知)
3.訓練所 滿洲移住協會經營
茨城縣東茨城郡鯉淵村滿蒙開拓幹部訓練所(内原驛下車)
4.携行品
書類(履歷書四通、戸籍謄本一通、家族調書二通、最近撮影手札型寫真一葉)印鑑、寝具、作業衣一式、日用品、下駄
5.内地訓練所集合に要する旅費は船車賃最短距離實費を支給す、但し本人豫め立替置き訓練所到着後精算す、其の爲出發驛發行の汽車汽船・バス乗車證明書持參のこと、尚手荷物運賃超過の場合は其の支拂證に依り之を支給す。
(ロ)現地訓練
1.集團移民幹部候補者は内地訓練終了後滿蒙開拓哈爾濱訓練所に入所せしめ必要なる訓練を施行するものとす。
2.義勇軍幹部候補者は内地訓練終了と共に直に渡滿するものとす。
六、採用及待遇
1、採用
(イ)義勇軍幹部候補者にして内地訓練を終了したる者は渡滿の上滿洲拓植公社社員として採用し現地訓練所指導員の任務に服するものとす。
(ロ)集團移民幹部候補者は現地訓練終了後拓務省囑託として採用す
2、待遇
(イ)内地訓練中前歷に依り月額貳拾五圓乃至四拾五圓の手當を支給す
(ロ)渡滿に當りては旅費及支度金として百八拾圓を支給す
(ハ)集團移民幹部候補者は現地訓練中は月額四拾五圓乃至九拾圓を支給す。
(ニ)俸給
集團移民幹部は拓務省囑託に、義勇軍幹部は滿洲拓殖公社社員に、正式採用後は前歷を參考とし月額八拾圓乃至參百圓(手當共)の俸給とす(特別の場合は別途に之を考慮す)
七、問合わせ
1、各道府縣廳
2、滿洲移住協會訓練部(東京市麹町區内幸町大阪ビル三階)
(家族調書様式)
昭和十四年一月
滿蒙開拓幹部訓練所概要
財團法人滿洲移住協會
一、要旨
大和民族理想信仰の顯現は、滿洲帝國誕生と同時に、彌榮の意氣込を以て、年々擴大的に開始されつゝある移民團の建設により、日滿一徳一心の基礎を固むるにあり而して健全なる移民團發逹の最大要件は、皇道追伸のよき指導者を得て、協力一致の實をあぐるにあり。この要旨に副ひ滿洲移住協會は拓務省の委託を受け本訓練所を設立し有爲人材の大和魂鍛錬陶冶の道場たらしめんとするものなり。
二、設立目的名稱並に經營
本訓練所は滿蒙開拓幹部訓練所と稱し、滿蒙開拓靑少年義勇軍幹部竝に集團移民幹部の訓練養成の目的を以て財團法人滿洲移住協會これを經營す。
三、位置
茨城縣東茨城郡鯉淵村(内原驛下車約一里)
四、設立年月日
昭和十四年一月
五、訓練方針
一、所生は寄宿舎に收容し、職員、所生は居常寝食を共にする一體の大家族たることを期す。
二、農場敎室と相俟ち學科、武道、農業勞働を通じ職員所生お互の大和魂を研き合ひ、以て時と所に應じ最も適切なる指導訓練經營をなし得る根本力の體得を目指す道場たることを期す。
三、本訓練所に於ける訓練は現地訓練所に於ける訓練と一貫せんことを期す。
六、敎科及び日課
一、敎科
(イ) 學科
學科としては倫理の大意と科學の大意を課し、從來學び得たる學識竝に本訓練所における實科と相俟ちて日本人たるの本分を明らかにせんことを期す。
(ロ) 實科
武道(直心影流法定の型、柔剣道)
日本體操(やまとばたらき) 農業實習 軍事敎練 其他
二、日課
起床 午前五時若くは五時三十分 禊、清潔、整頓をなす
點呼 午前五時半若くは六時
禮拝 黠呼後神前において左の形式により禮拝す
一、二拝二拍手一拝 二、敎育勅語奉讀
三、天皇陛下彌榮三唱 四、天晴れ、あな面白、あな手伸し、あな明け、おけ
五、二拝二拍手一拝 六、挨拶
武道體操 禮拝後一時間武道又は體操
朝食 午前七時=七時半
學科 自午前八時三十分 至正午
實習 自午後一時三十分 至日没
夕食 午後六時=七時
自習 午後七時=九時 或は武道 座談會
禮拝 午後九時 一同寄宿舎に集合左の形式に依り禮拝をなす
二拝二拍手一拝 職員所生相互の挨拶
七、職員
所長 加藤完治
職員 補導若干名 副補導若干名 助手若干名 講師若干名
八、施設
建物
神社、寄宿舎、職員宿舎、事務室、大講堂講義室、柔道場、剣道場、作業場、糓物倉庫、農產加工場、農產製造室、農具舎兼物置、鍛工場、木工場、畜舎、鶏舎、飼料舎、堆廐肥舎、サイロ、車庫等。
農場
約五十町
家畜
役牛、役乗馬、乳牛、鶏、種豚、緬羊。
九、部制
本訓練所に第一部乃至第三部をおきその部制を定むること左の如し。
第一部 専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校程度以上の學歷又はこれと同等以上の實力を有するものにして靑少年義勇軍幹部または集團移民幹部たることを目的とし、その訓練期間は三ヶ月、定員は四百名、年三回計千二百名とす。
第二部 鍛工、ブリキ工、桶工、木工、左官その他の特技者にして、現地訓練所の特技指導者たることを目的としその訓練期間は三ヶ月、定員は若干名。
第三部 内地農村の指導者にして第一部生、第二部生と相共に修業せんとするもの、その訓練期間は概ね一ケ月内外、定員は若干名。
以上第一部乃至第三部とも訓練期間竝に定員はときにこれを變更することあるべし。
一、募集の種類
(イ)集團移民幹部
1、團長
2、農事指導員
3、畜產指導員(獣醫)
(ロ)靑少年義勇軍幹部
1、敎學敎士 2、農事指導員
3、畜產指導員 4、事務指導員
5、特技(鍛工、ブリキ工其他)
二、應募資格
概ね左記に依るものとす。
1、専門學校以上の卒業者若くは實務に經驗ある師範學校卒業者其他中等學校卒業以上の學歷を有し又は是と同等以上の學力を有し農村の指導又は敎育其他實際の經驗を有するもの。
2、年齢四十五歳以下のもの
3、身體强壮、質實剛健にして意志鞏固なる者
4、妻帶者にありては當分別居生活を爲し得る者
三、應募手續
應募者は滿洲移住協會理事長大蔵公望宛願書と共に左記書類を現住地道府縣廰に提出し地方長官の推薦を經るものとす。
1、在職者は所屬機關長其他は出身校學校長の推薦書 一通
2、本人自筆の履歷書 一通
3.戸籍謄本 一通
4、家族調書(様式參照) 一通
5、醫師の身體檢査證 一通
6、最近撮影の手札型寫真 一葉
四、募集締切並に選抜銓衡
(イ)募集締切期日
第一回 昭和十四年二月二十日
第二回 同年四月二十日
第三回 同年六月二十日
第四回 同年八月二十日
第五回 同年十月二十日
第六回 同年十二月二十日
第七回 十五年二月二十日
以下隔月二十日
(ロ)銓衡
各締切毎に道府縣當局と打合せの上翌月初旬その都度銓衡期日及場所を通知し銓衡の上假採用者を決定す。
(ハ)但し高等専門學校以上又は拓殖訓練所の新卒業生は二月二十日締切の分に學校長の推薦を經て直接滿洲移住協會理事長大蔵公望宛應募することとし、銓衡場は學校所在地の道府縣廳とし銓衡期日は追て之を通知す。
五、訓練
(イ)内地訓練
假採用者は左記要領に依り内地訓練を實施す。
1.訓練期間
集團移民幹部候補者は一ケ月以上とす
靑少年義勇軍幹部候補者は約三ケ月乃至五ケ月とす
2.集合日時
地方銓衡後概ね二十日内外に集合(日時は假採用決定の際通知)
3.訓練所 滿洲移住協會經營
茨城縣東茨城郡鯉淵村滿蒙開拓幹部訓練所(内原驛下車)
4.携行品
書類(履歷書四通、戸籍謄本一通、家族調書二通、最近撮影手札型寫真一葉)印鑑、寝具、作業衣一式、日用品、下駄
5.内地訓練所集合に要する旅費は船車賃最短距離實費を支給す、但し本人豫め立替置き訓練所到着後精算す、其の爲出發驛發行の汽車汽船・バス乗車證明書持參のこと、尚手荷物運賃超過の場合は其の支拂證に依り之を支給す。
(ロ)現地訓練
1.集團移民幹部候補者は内地訓練終了後滿蒙開拓哈爾濱訓練所に入所せしめ必要なる訓練を施行するものとす。
2.義勇軍幹部候補者は内地訓練終了と共に直に渡滿するものとす。
六、採用及待遇
1、採用
(イ)義勇軍幹部候補者にして内地訓練を終了したる者は渡滿の上滿洲拓植公社社員として採用し現地訓練所指導員の任務に服するものとす。
(ロ)集團移民幹部候補者は現地訓練終了後拓務省囑託として採用す
2、待遇
(イ)内地訓練中前歷に依り月額貳拾五圓乃至四拾五圓の手當を支給す
(ロ)渡滿に當りては旅費及支度金として百八拾圓を支給す
(ハ)集團移民幹部候補者は現地訓練中は月額四拾五圓乃至九拾圓を支給す。
(ニ)俸給
集團移民幹部は拓務省囑託に、義勇軍幹部は滿洲拓殖公社社員に、正式採用後は前歷を參考とし月額八拾圓乃至參百圓(手當共)の俸給とす(特別の場合は別途に之を考慮す)
七、問合わせ
1、各道府縣廳
2、滿洲移住協會訓練部(東京市麹町區内幸町大阪ビル三階)
(家族調書様式)
家族調書 本籍 現住所 戸主何某何男 氏名 年 月 日生 扶養の義務ある家族 |
|||
本人との續柄 | 戸主との續柄 | 氏名 | 生年月日 |
其の他の家族 | |||
本人との續柄 | 戸主との續柄 | 氏名 | 生年月日 |
右之通相違無之候也 年 月 日 右 氏名 印 |
満州農業移民候補者選定ニ關スル内規
滿洲農業移民候補者選定ニ關スル内規 一、應募資格 イ、年齢 要綱ニ於テ凡ソ三十歳迄ト示シタルモ成ルベク二十五、六歳迄ノ頑健ナル者 但シ徴兵檢査未了ノ者ハ絶對資格ナキモノトス ロ、特技 大工、木工、左官、桶屋、ブリキ工、電信工、蹄鐡工、看護技術者、自動車運轉士等移住地ノ建設竝ニ經營ニ必要ナル特技ヲ有スルル者 二、採否ノ標準 イ、左ノ資格ニ多ク合致スル者ヨリ採用スルモノトス 1. 衆望ヲ擔ヒ將來移住村(區)ノ中堅タリ得ルモノ 2. 特技者ハ成ルベク農耕ノ經驗アルモノ 3. 耕作地ナキカ又ハ不足セルモノ 4. 質朴ニシテ意志ノ强固ナルモノ 5. 農耕ニ從事シタル年數ノ多キモノ 6. 勤儉貯蓄ノ習慣アルモノ ロ、左記ノ缺點ヲ有スルモノハ之ヲ採用セザルモノトス 1. 身體ニ疾患アリ又ハ呼吸器病、神經系疾患等ノ旣往症アルモノ 2. 身體虚弱ニシテ滿洲ノ氣候、風土乃至勞働ニ堪へザル惧アルモノ 3. 飮酒、賭博等ノ惡習慣アルモノ 4. 家庭圓滿ナラザルモノ 5. 家族ノ系索多ク單獨渡航ノ困難ナルモノ 6. 故ナクシテ職業ヲ轉々セルモノ 7. 特殊事情ナキ限リ農業ノ經驗全クナキモノ 三、身上明細書 募集機關ニ於テ作製提出スベキ身上明細書ニハ左記諸事項ヲ網羅シ別紙形式ニ依ルベキモノトス 1. 本人氏名(戸主トノ續柄ヲ併記ス) 2. 生年月日 3. 本籍竝ニ現住所 4. 役種官等級(例、豫備役歩兵上等兵) 5. 本人竝ニ家庭ノ職業 6. 最終學歷 7. 職業略歷 8. 特技 9. 在郷間或ハ在隊間ノ成績 10.健康状態 11.素行、思想竝ニ性格 12.渡滿決心動機 13.家庭ノ人數(例、父何某、母何某、兄何人、弟何人、計何人) 14.資産、負債の財産内譯 (記入注意) 1. 本表ノ家庭關係、財産關係、農業關係各欄ハ本人カ經營主ナラザル場合ハ經營主ノソレヲ記入スルコト、但シ雇佣人ニアリテハ實家ノ状況ヲ記入スルコト 2. 健康状態欄ニハ特ニ旣往症ノ病名ヲ記入スルコト 3. 家庭關係備考欄ニハ本人渡滿後招致迄ノ殘留家族ノ留守宅維持方法及費用ヲ明記スルコト 4. 留守宅扶養責任者ニ付テハ家族關係本人トノ續柄欄ニ特ニ◎印ヲ附スルコト 5. 思想、性格、素行欄記入ニ際シテハ左ノ標準ニ依リ考慮セラレタキコト イ.質素勤勉ナリヤ ロ.意志强固ナリヤ ハ.浮華遊惰ノ風アリヤ否ヤ ニ.飮酒、賭博其ノ他ノ惡習アリヤ 6. 渡滿決心動機ノ欄ニハ滿洲移民ニ關スル知識ヲ何ニ依ツテ得タルカヲ記入スルコト(例ラヂオ、講演等) 7. 農業關係ノ經營面積ニ付テハ所有ニ屬スルモ貸付セルモノハ之ヲ除外スルコト 8. 身元引受人住所氏名ハ本人ノ郷里ニ於ケル連絡者タル者ヲ記入スルコト |
なお、この史料(データ)は、「一般社団法人 満蒙開拓平和記念館」に寄贈しました。
1936年(昭和11年)、日本は、第2次ロンドン海軍軍縮会議(日米英仏伊)を脱退し、軍事力増強にむかいます。同時に、国内では二・二六事件により東京に戒厳令が施行され、穏やかではない雰囲気が漂いはじめました。
一方、文化・世相に目をむけると、職業野球(プロ野球)が始まり、澤村栄治投手が初の無安打無失点を記録、ベルリンオリンピックでの「前畑ガンバレ」実況に国民が熱狂、ソ連のオペラ歌手 シャリアピンが日比谷公会堂で公演したのもこの年です。
そんな1936年(昭和11年)、聖学院は、創立30周年を迎えました。
ここに「創立30周年 記念祭」の写真と、事後行われた母姉会(現在のPTA)反省会の議事録の一部を紹介します。
現在、記念祭で販売されている模擬店メニューと、当時のメニューを比較してみましょう
【2016年(平成28年)】 | 【1936年(昭和11年)】 |
唐揚げ フライドポテト 焼きそば ポップコーン フランクフルト 調理パン 牛丼・味噌汁 アイスクリーム ジュース ワッフル |
おそば(藪忠出張) お汁粉 おでん みつ豆 シューマイ パン お寿司 アイスクリーム お紅茶 |
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聖学院中学校は、いまから110年前、1906年(明治39年)に開校しました。
当時は、日露戦争が終わり、ポーツマス条約の内容に国民の不満が湧きかえっていた時代です。そうした時期に、日本にキリスト教の学校を作ることには、さまざまな困難がありました。実際に入学式が挙行されたのは、9月に入ってからのことです。
創立110周年を迎えるにあたり、先人の、開校にむけての努力が記録された「第壹号 日誌」を紹介します。
第壹号 日誌 聖學院中學校
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初代校長 石川角次郎先生がお使いになった聖書の裏表紙に、先生直筆の和歌が残されていました。
これは1892年(明治25年)、サンフランシスコから、米国留学を終えた先生が汽船オセアニック号で帰朝される際に詠まれたものです。
【聖書裏表紙に残されていた直筆の和歌】
【原文と解説】
ちはやふる神にむかひてはちきらむ 心のそこのくもらさりせば
(神様にむかうと胸がはちきれんばかりだ 心の底には一点の曇りもないから)
くもりなき人の心をちはやふる 神はさやかにてらしみるらむ
(曇りのない人の心を 神様は清らかに照らしてくれるだろう)
めにみえぬ神のこころに通ふこそ 人の心の誠なりけれ
(目に見えない神様の心に通うことこそが 人の心の誠であろう)
ちはやふる神の心にかなふらむ 我くにたみのつくす誠は
(神様の心にかなうであろう 私の国の民が尽くす誠は)
罪あらば我をとがめよ天津神 民は我身のうみし子なれば
(罪があるのならば私を咎めてください天津神 民は私の身がうんだ子なのだから)
left S.F.at 3p.m. Saturday mar.26.
1892 by the steamer Oceanic
サンフランシスコを離れて
1892年3月26日
土曜日午後3時
汽船オセアニック号にて
【オセアニック号Ⅰ世】(出典:「豪華客船の文化史」野間 恒 NTT出版)
※ちはやふる……「神様」に付く枕詞
※オセアニック号……1871年、イギリスのホワイト・スター・ライン社が建造した大型客船。3707トン。「現代客船の母」「王室のヨット」と呼ばれた。大西洋航路で活躍した後、太平洋航路(サンフランシスコ、ハワイ、横浜、上海)に使用された。
石川角次郎先生が乗船した前年、1891年には、新渡戸稲造が同船・同航路で帰国している。この時、横浜で帰朝者を迎えた税関長は、有島武(作家 有島武郎の実父)であった。
聖学院中学校高等学校図書館では、創立110周年記念事業として、初代校長 石川角次郎先生が生前に使用されていた聖書の電子化作業を行なった。
この聖書は、石川角次郎先生が召天された後、聖学院から銀製ケースとともに実弟の石川林四郎先生(英文学者、聖学院英語科教員、三省堂コンサイス和英辞典編纂者)に寄贈されたものである。今回、石川家の協力により、この聖書の完全電子化が完了した。
以下は、石川角次郎先生に薫陶を得た神学校時代の教え子による回想である。
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思い出ずるままに 海老沢 廉 聖学院神学校大正十三年卒業
一番私の印象に残って居ります第一の事は、或時先生と二人きりでお話していた時、先生が開いた聖書の事であります。何十年御使用になった聖書でしょうか、一枚一枚丁寧にめくらないとバラバラになっているので、紛失の恐れさえある各頁を丁寧にめくりめくりして居かれましたので、小生は先生のその聖書は随分長く御使用になったのでしょうねと御聞きしました。先生は聖書は一冊限りを使用せられたらしく、その聖書の各頁には録す所なく細字で加筆してあり、一分の余地もなくなるまで書き込まれてあった事でした。先生が如何に偉大なる聖書学者であられたかがうかがわれる一つの事実であります。
(「伯父 石川角次郎」石川清 講談社出版より)
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引照新約全書 ; 舊約聖書詩篇
横浜 : 大日本聖書館 , 1899.12
758, 224p, 図版[4]枚 ; 16cm
注記:奥付の出版者: 聖書館
・標題紙
・目次
・馬太伝福音書
・馬可伝福音書
・路加伝福音書
・約翰伝福音書
・使徒行伝
・達羅馬人書
・達哥林多人前書
・達哥林多人後書
・達加拉太人書
・達以弗所人書
・達腓立比人書
・達哥羅西人書
・達帖撒羅尼迦人前書
・達帖撒羅尼迦人後書
・達提摩太前書
・達提摩太後書
・達提多書
・達腓利門書
・達希伯来人書
・雅各書
・彼得前書
・彼得後書
・約翰第一書
・約翰第二書
・約翰第三書
・猶太書
・約翰黙示録
・詩篇
・奥付
・裏表紙
・その他
図書館では、生徒への読書教育と同時に、学校文化を守り、歴史的財産を後世に遺していく取り組みも行っています。
昭和20年、太平洋戦争末期、いわゆる「銃後」のくらしの中で、人々は、日本の「勝利」を信じる者、本土侵略に怯える者、また、「隣組」と称した相互監視に躍起になる者、無謀であったと証言する者と、それぞれの受け止め方で戦況を見守っていました。
一方で、深刻な食料不足による塗炭の苦しみの中で、町中には、「早く負けろ、軍人の吠え面を見てやる」「満足に食べられるのは軍人だけだ」といった落書きが、至るところに描かれるようになりました。
キリスト教学校である本校もまた、苦難の時代を迎えていました。教職員や卒業生は召集され、グラウンドは「空地利用」と称して農場になりました。板橋の農場で開墾作業を強いられた記録も残っています。
戦後70年にあたり、将来ある若者が、時代に翻弄されないためにも、我々は、昭和20年の出来事について、改めて考える必要があります。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
これはユネスコ憲章の前文です。
ここに、昭和20年1月から12月までの間、本校教員によって書かれた学校日誌を公開することにより、聖学院が、戦火の中、建学の精神を堅持するために奔走していた事実を明らかにし、同時に、「平和を作り出す人はさいわいである」(マタイによる福音書5章9節)の精神を噛み締める機会にしたいと考えます。
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大正4年(1915年)の聖学院を描いた文章が、図書館閉架書庫から発見されました。これは、本校の卒業生で、第5代校長の畑中岩雄先生が、聖學院新聞(昭和35年発行)に寄稿されたものです。
100年前の聖学院には寄宿舎があり、聖学院神学校の生徒も利用していたことや、学校周辺には田園風景が広がっていたこと、夜半を過ぎても勉強にいそしむ寮生の様子などが描かれています。
大正4年というのは、国際的には、第一次世界大戦が深刻化していった時代です。一方、国内に目をむけると、この時期にシャープペンシルやチューインガムが発明され、また銀座の喫茶店に足を運ぶことをさす「銀ブラ」という言葉も生まれました。現在、高校一年生・現代文の教科書に登場する「羅生門」(芥川龍之介)も、この年に発表されています。
なお、同時に掲載している写真は、、大正10年に撮影された寄宿舎と神学生・中学生です。前列中央に当時の畑中岩雄先生がおられます。
聖学院中学校高等学校がある東京都北区は、もともと「瀧野川町」と呼ばれていました。
図書館では昭和8年に発行された「瀧野川町誌」を所蔵しています。
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この中に、本校のことが記載されています。
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聖學院中學校
瀧野川町中里二五七番地に在り。本校は明治三十九年九月米國「チャーチズ・オヴ・クライスト」により創立され同四十年六月十五日文部大臣認定の中學校となつた、創立當時交通不便の關係上特に生徒の定員を二百名に限りたるも昭和五年創立二十五周年を迎へ記念事業として定員を四百名に倍大し昭和六年四月一日より實施した。
本校の校地は四,〇三二坪、校舎は一五九坪餘、普通敎室五、特別敎室一である。
本校の敎育方針は智育偏重の弊を避け、生徒天賦の徳性を助成し之が完全なる發達を企圖し、生徒各自の高潔なる人格の完成に力を注ぎ、その徳操を涵養し、品性を練磨し、その天稟を發揮せしむる點に最善の努力を拂つて居る。
本校生徒の學費は、授業料年額六十六圓、學友会費年額三円三十銭である。他には一切徴収せず。
本校創立以来の卒業生は六六〇名に上つて、其の中には我國最高の學位を得た者、高等専門の敎授たる者、其の他實業界、宗敎界、政界等に錚々の名を馳せて居る者も尠なくない、上級學校入學の點から見ると最近四ヶ年の統計は上級學校入學志願者一三一名で入學者九二名であり七割強の比率を示し府立各學校以外には、全く異數である。現校長は平井庸吉氏である。
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瀧野川町誌 : 町制廿周年記念東京市併合記念 / 大嶋貞吉, 下村元治郎編著
東京 : 瀧野川町誌刊行會 , 1933.6
827p : 図25枚 ; 23cm
昭和20年8月15日の本校の「日誌」が、図書館の閉架書庫から発見されました。「日誌」は、教員がその日の学校の出来事や状勢を書き残したもので、中に出てくる人名は、その日に出校していた教職員を指しているものと思われます。以下、8月15日の記述を原文のまま紹介します。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
八月十五日 水 曇後晴
一、附課程(課)程 四、三年 勤労動員
関根、赤坂、尾関、宇野、曽我
一、警戒警報発令 五、三〇 ・ 一一、二五
空襲 〃 五、四〇 解除 七、五七
一、正午 詔書渓発アラセラル(レ)重大発表ノ放送アリタリ、ポツダム宣言受諾ノ旨
今週中休校
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8月15日の早朝まで空襲警報が発令されていたことや、5人の教職員が生徒指導にあたっていたこと、また、この日を境に生徒を休校させていたことがわかります。
今回、発見された「日誌」は、「自 昭和十九年四月 至 二十年三月 日誌」と「自 昭和二十年四月二日 至 昭和二十一年七月十六日 日誌」との二冊があり、昭和20年12月15日には、以下のような記述も見られます。
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十二月十五日
一、三學期終業式 午后一時ヨリ行フ
一、クリ(ス)マス禮拝アリ合併教室ニ於テ
一、クリ(ス)マス禮拝後、全職員夕食ヲ供ス
一、校長當會ニ出席サル
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今回、発見された「日誌」は、現在、図書館で展示しています。
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昭和12年(1937)7月15日発行の「聖中學報 第5號」に、ヴォーリズ社設計による新校舎定礎式の様子が書かれています。
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慶応3年にお生まれになった、聖学院中學校初代校長・石川角次郎先生の履歴書です。
1960年の卒業アルバムに掲載されていた第52回(1958年) 聖学院記念祭アーチの写真です。
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聖中學報第3號 創立30周年記念號(昭和11年11月1日發行)に、第3回卒業生の圖案家・關本有路漏氏による「1908年 中里の風景」が描かれています。
また、裏表紙にはライオン齒磨本舗 株式會社小林商店の全面広告が掲載されています。
本記事については、「一企業の広告の範疇を越えた歴史的価値の高い史料」と判断し、ライオン株式会社の許諾を得た上で掲載しています。