写真展「平和を創り出すために~日本軍写真班兵士が遺した広島・原爆投下の真実~」開催のお知らせ

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された際、軍の命令により罹災者の被害状況を写真に記録するよう命じられた兵士がいました。陸軍写真班の尾糠政美さん(当時24歳)です。
尾糠さんは、火傷で苦しむ市井の人々にファインダーを向け、「申し訳ない」と涙を流しながらシャッターを押し続けました。尾糠さんご自身も、原爆により母親を失っています。
戦争が終わり、撮影した写真の多くはGHQの指示で焼却処分されました。しかし、尾糠さんは、真実を後世に残そうと写真の一部をこっそり自分の手元に残しておきました。

展示のようす

尾糠さんの経歴

インタビューに答える尾糠さん

原爆投下から74年。
2019年春、尾糠さんの三男・清司さんが、その写真を持って本校図書館を訪ねて来られ、父・政美さんが遺した写真を寄贈して下さいました。

現在、図書館では、「平和を創り出すために~日本軍写真班兵士が遺した広島・原爆投下の真実~」と題して、尾糠さんが遺した写真を展示しています。この展示会を通して、男子中高生に「平和の創り出すためにできること」を考える機会にして欲しいと願っています。

繰り返さない

語り継ぐ

他人事にしない

〔尾糠政美さんの経歴〕
1921年(大正10年10月17日)
島根県邑智郡瑞穂町(現 邑南町)の農家(父:元二郎、母:マキノ、男4人・女2人の6人兄弟の5番目)として生まれる幼い頃から、写真に興味を持つ。
1936年(昭和11年)尋常高等小学校を卒業。(15歳)
1937年(昭和12 年)16歳の時、広島県三次市の写真館で、写真の修業を始める。
1941年(昭和16年)広島船舶司令部に入隊。
1942年(昭和17 年)ニューブリテン島ラバウルに従軍上陸。
1943年(昭和18 年)フィリピン・セブ島に従軍上陸
1944年(昭和19年)フィリピン・マニラに上陸。その後、広島市宇品港へ帰還。
1945年(昭和20 年)8月6日。広島市宇品で被爆・広島市南区に住む母を捜しながら被爆状況を撮影する。退役後、島根県に戻り結婚、川本町でオヌカ写真館を開業。
1949年(昭和24年)28歳の時、第一子・英紀が誕生。
1953年(昭和28年)32歳の時、第二子・正樹が誕生
1962年(昭和37 年)41歳の時、第三子・清司が誕生。
2011年(平成23年)肺炎のため、死去。享年89.

〔人柄〕
「頑固な昭和の男」。仕事人間で、孫が生まれるまでは365日写真店を開け、休日はなかった。撮影の腕、写真の品質は良かったらしい。「来るもの拒まず」のタイプで交友関係が広く、我が家には、隣人から親戚までひっきりなしに、いろんな人が出入りしていた。お酒と魚が大好きで、近所の魚屋には我が家の刺身皿が何枚も預けてあり、夕方に寄ると刺身が盛り付けられていて、それをもらって帰っていた。「世の中で役立つ人間になりなさい。人に好かれる人間になりなさい。」と教えられた。

(三男 尾糠清司さん談)

2019年09月13日